<a href=”http://WWW.takakei-basket-ob.com/blog/archives/asazuma2.jpg”><img alt=”asazuma2.jpg” src=”http://WWW.takakei-basket-ob.com/blog/archives/asazuma2-thumb.jpg” width=”201″ height=”300″ /align=right></a> この度、柿沼会長より高崎経済大学バスケットボール部での四年間の総括を書く場をいただきましたので、素直な気持ちを書かせていただきたいと思います。
【入部して、チーム目標の必要を感じたこと 】
私は大学四年間勉強もほとんどせずバスケ漬けの日々を過ごしました。バスケから学んだ事は山ほどあります。寝ても覚めてもバスケットの事ばかり考えていました。そんな私ですが、新潟県立巻高校時代、かなり厳しい練習をするところだったので大学ではバスケット部に入るか少し迷っていた事を覚えています。入部したきっかけは、最初の見学の時に練習がきつくなかった事とたった週4回しか練習がなかった事です。高校時代はお盆も正月も休みなく練習する部活でした。なので、気軽!?な気持ちで入部しました。また、仮入部してすぐの春の北関をスタメンで試合に使ってもらったというのも入部せざるをえない理由でした。私が1年生の頃はあまり走るような練習もしていなかったし、目標も明確でなく、チームはまとまりがなっかたように思います。その頃は一年を通してほとんどの試合を負け通したと思います。北関などは負けるのが当然で勝てるとか、勝とうとは誰も考えていなかったと思います。少なくとも私はそう感じていました。どうして、もっと本気になってくれないのか。部活ではないのかという思いでいっぱいでした。試合をする以前のチームとしてのモチベーションの低さがありました。この時のどん底の悔しさがチームを一から作り上げようと決意したきっかけでした。負けに負けて、いつの間にか本気で強くなりたいと思っている自分がいました。失うものなど何も無い、一からの挑戦です。卒業までに、上を見据えて戦えるようなチーム作りが目標となりました。
【キャプテンとしての戦い】
2年生の秋、私はキャプテンになり本当の戦いが始まりました。自分が最上級である短い期間に高経の伝統となるものを作ろうと思ったからです。当時プレイヤーは9人で、チーム力は低く6部(当時関東リーグは7部まで)での残留すら厳しいのではないかという状況でした。しかし、私の目標はあくまでもっと上をめざしていました。私は夢を見すぎです。けれども、それくらいに上を見上げなければ、今所属しているリーグに目標を合わせてしまってはそこで満足してしまうからです。なぜなら、出来る事を目指すのは目標ではないからです。最低でも一年で北関優勝を果たしたいと考えていました。私はとにかく徹底的に足を鍛える練習をしました。技術でも高さでも選手層でも劣るとなれば、相手の倍オフェンスの回数を増やすしかないと考えました。相手が一回で決める所をうちは二回かかるのだから単純に2倍の走力が必要になります。また、技術面でも、ボールの扱い方は勿論の事、ターンの仕方、足の運びなど基礎からやる事にしました。また、シュート練習を自主練習としました。私の考えでは、全員がせっかく集まって練習しているのだから全員が集まらなければ出来ない事をやるべきと考えたからです。シュート練習は1人でも2人でも出来ます。大学生にもなって基礎からかと、みんなも思っていたでしょうし、そして私も思っていました。しかし、馬鹿にしている基礎が出来ていないのだから、遠回りでもやるしかありませんでした。これらの動きはバスケットの全ての鍵を握るからです。更に、チームとしての決め事です。時間を守る(1秒を争うスポーツをしているのだから当然)、集合は全力ダッシュ、メニューとメニューの間は次の練習の準備及びダッシュで移動、声を出す、何でも伝えあう(コミュニケーションはスポーツでは絶対条件。声無しではスクリーンさえかわせない)、ミスったら全力で戻る等ここで挙げたのは一部ですが、読んでいる方は至極当然の事と思われていると思います。しかし、当然の事が出来ないから弱いという事だと思います。幾名かの反対(大学生らしくそこそこやれればいい)を押し切り、自主練習なども半強制で始めました。チームをまとめるものとしての感想ですが、一年間これらを言い続けて選手達がやってくれた事は自分の理想の20%くらいです。とにかく、言った事や決めた事を実践してもらえませんでした。頑張ってないとは言いません、頑張っていたと思います。ですが、チームの今の現状と目標までの距離を考えたら、血の滲むくらいでは済まない練習が必要でした。最初に決めた目標にチーム一丸となって向かっていなかったのだと思います。特にその春に新しく入った新入生達は、そこまで考えるのは到底無理だったと今になって反省しています。じっくりと話し合い、私の考えを伝えてからチームに入ってもらうべきでした。
【連戦連敗の日々の悩み・焦り】
そして、シーズンインしましたが前期は連戦連敗でどん底でした。練習ではピリピリとした緊張感は多少ありましたが、逆にチームに元気が無く、雰囲気も悪かったと思います。勝てない責任を全て自分のせいだと感じていました。チームの決め事や課題も徹底されず、ここまで結果が出なくてはどうしたらいいのだろうと行き詰まり、かなり焦っていました。本当に悩んで考えました。高校時代の監督にも自宅まで伺い相談しました。どうやったら強くなれるか。選手達が強くなろうと思ってくれるか。けど、自分が強く求めても反発を生んだりと八方塞がりでした。そんなとき、ある日気付いたのですが、私は一人でバスケットをしていたのだと思います。考え抜いた結果、私は多少の路線変更をすることにしました。
夏休み明けから、うるさく言わない事にし、ある程度選手の成長は自分達に任せる事にしました。決め事は決まっているので、やるかどうかを本人達の判断に任せました。試合で負けて悔しい思いをして、自分から練習しようと思ってくれなければ、やらされる練習だからです。私はそれでやってくれなくて勝てなかったらと思いましたが、責任は全員にあるのだということに気付きました。そう考えたら、気持ちも楽になり、気持ちに余裕ができ、自分のプレイも良くなった気がしています。その責任の内の半分はやはり私ですが、全員が負けを強く意識してほしいと考えました。しかし、結果として言うと、余計にチームはだらしなくなりました。逆に雰囲気は明るくなりました(よくなったとは言いません。練習中笑いばかり起きるような雰囲気です)。関東リーグ中でしたし、勝ち続けていたので、だらしない雰囲気に喝を入れることが出来ませんでした。まとめる側は頭が痛いところです。関東リーグは全勝で6部優勝を果たし、北関でも10年ぶりとまで言われる3位入賞を果たしました。意外にも多少の結果が出てしまい、やってきた事や試行錯誤した事その全ては間違いでは無かったのかと思いました。しかし、正直、伝統となるだろうものを完全にたたき込むとは行かないまま私のキャプテンは終了しました。ここで中途半端をした事を今も後悔しています。一年間のキャプテンを通じ、人間関係、組織運営の難しさを痛感しました。大勢の目標を一つにする事、選手のモチベーションを高める事、ただ厳しければいいとは限らない事。結果を出す方法は一通りではない事。人間としてとても成長できたと思います。
【後輩への思い】
4年生になってからはあまり口出しをせず、完全に後輩にチームの方針を任せました。自分の作った決まりを伝統にしていくのは後輩達だからです。私は、本当にひどい時に喝を入れるくらいに控えました。しかし、やはり私が徹底しきらなかったせいですぐにそれは無くなっていき、一年間ほとんどチームとしての成長無く終わりました。これは、後輩の幹部学年を責めるのではなく自分の責任であると感じました。キャプテンの時の中途半端さと、4年次に後輩達に任せっきりにした事です。4年で上が誰もいない状況で、もっと自分のしたい事を押し通せたはずと今になり思います。今のままでは安定して毎年強いチームである事や、ましてや飛躍的にのびることができないでしょう。バスケットをするのは現役選手達です。彼らが悔しいと思い、彼らなりの方法で勝てる道を探していくしかないと考えます。本人達の目標がどこにあるか、が問題です。ほぼ丸四年間現役でプレイし一緒に戦った後輩達には本当に強くなってほしいと願っています。そして、何年後か少しでも私(や一緒に頑張ったチームメイト)が残した魂や練習が後輩達に受け継がれていたらと思います。
四年間大学でバスケットをし、思った事は部活とは何かという事です。プロではないので活躍しなくても解雇はありませんし、逆に給料が貰えるわけではありません。よって、色々な意識レベルの人がいるという事です。強豪校ではある程度意識の高い人の集まりですが、弱小校ではバスケもしたいし遊びたいという人もいます。しかし、それを咎める事が出来ない状況が部活です。輪を乱すようなら辞めてほしいとも言えますが、それが大多数ともなれば部として成り立たなくなるので非常に難しいです。大学生は勉強が本分というのは当然ですし、バスケに懸けるかどうかというのは本人次第という事が身に染みました。幾人もの想いが交錯し、チームが一つになる事がどれだけ困難か。人間とは本当に難しい生きものです。チームのまとめ方は十分に理解できなかったが、人の気持ちを動かす難しさがわかりました。私は大学四年間バスケットに全てをかけました。けれども、後悔はないです。真剣に悩み辛かった記憶も多いですが、その分よい思い出も沢山出来ました。精一杯バスケットに打ち込める環境を作ってくれた両親、OBの方々、その他応援してくださった大勢の方に感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございました。これからも是非高崎経済大学バスケットボール部を応援していただけたらと思います。
<a href=”http://WWW.takakei-basket-ob.com/blog/archives/asazuma1.jpg”><img alt=”asazuma1.jpg” src=”http://WWW.takakei-basket-ob.com/blog/archives/asazuma1-thumb.jpg” width=”237″ height=”300″ /align=left></a>【後輩へ、伝えたいこと】
最後に現役選手達、一緒に戦った現4年生へ。厳しい言葉ばかりをかけてきましたが、本当によく練習につきてきてくれたと思います。入部したては、嘔吐した人もいたと聞きました。普通ならとっくに辞めてしまうような厳しい練習でも最後まで頑張ってくれました。入部した頃とは見違えるような成長をしたと思います。毎日自分の納得のいくまで練習してください。自分の目指すものに向かって努力してください。大学はとかくダラダラ過ごしがちですが、何か一つでも自信を持って打ち込める何か、見つけてください。スポーツは結果が全てです。しかし、そこに向かって努力した事は決して無駄にはならないと思います。4年、3年、2年、新しく入った1年生の全員に期待しています。正直なところ、私としては、この四年間の強い想いを後輩達に引き継いでほしいと願っていますが、ここまで書いたようにバスケットをするのは君達です。負けて悔しいのも君達です。これからの高崎経済大学バスケットボール部を作っていくのも君達です。私が厳しい練習をしてほしいと押しつける事は決して出来ません。けれど、本当に期待しています。頑張ってください。最後に、この言葉を贈ります。それは、「心・体・技」です。心技体が一般的ですがそれとは違います。まず、心が強くなければならない。どんな苦しい局面でも、厳しい練習でも折れない強い気持ちを作ること。それが土台となり、身体を鍛えること。心が強くなければきついことから逃げてしまう。そして、体が技より先に来ている理由ですが、どんな技術も疲れ果てて動けなければ発揮できないということです。体力とは集中力です。無尽蔵の体力の上に、誰にも負けない技術、そしてそれを支える強い気持ち。これが、よいプレイヤーの条件だと思います。 朝妻裕介(平成19年卒 元主将)